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by telephone, 2006. 5. 30
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation by Akiko Nakamura
translation by Ikuko Ono

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2005年、ウィズ・ティース・ツアーの半ばにして、衝撃的な形でナイン・インチ・ネイルズを去ったジェローム・ディロン。脱退後すぐに、彼はニアリーという名義で初のソロ・アルバム『リマインダー』を発表する。それは、彼が単なるドラマーではなく幅広い音楽的な才能の持ち主であることを証明する優れた作品だった。日本盤もリリースされたので、何とかしてインタビューしたいと考え、関係各位の協力により、実現することが出来た。まずはジェロームの言葉に触れてみてほしい。彼の発言を読んで個人的に考えたことは、また近い内に原稿にまとめるつもりだ。

「僕はトレントからのサポートを必要としていた。友人としてもボスとしても『大丈夫だから。心配するな』って言ってもらいたかった。でも、それはかなわなかったんだ」

初めまして。インタビューを受けていただき、ありがとうございます。まず最初の質問ですが、このニアリーというプロジェクトの発端は、ナイン・インチ・ネイルズのフラジャイリティ・ツアー終了後に曲を作り始めた時まで遡れるそうですね。あなたはそれより以前に、自分がリーダーシップをとったソロ・アルバムを作るというヴィジョンを持ったことはなかったのですか?

Jerome:それほど無かったよ。自分の中から取り出したい音楽があることは分かっていたけれど、実行に移す理由が見つからなかったんだ。それに、トレント・レズナーほどの才能の持ち主が率いるバンドでドラムを叩かせてもらってると、そのことが障壁になるってほどではないにしても、ソングライターとしての自分の才能には自信が持てない状態になっていたし。ナイン・インチ・ネイルズという素晴らしいバンドのドラマーとしての活動に満足してたし、自分でも何かやろうという希望はそんなに無かったんだ……ある夢を連続してみるまではね。同じ夢を繰り返しみるのにはきっと理由があるはずだから、記録を残すべきなんじゃないかと思ってさ。カタルシスとして、あるいはアーティスティックな観点から記録する必要性を感じて、その手段としてレコードを作ることにした。レコードを作るか、サイコセラピーを受けるか、どっちかだったね。で、分析医にかかるよりレコードを作る方が安上がりだったんで(笑)。まずは、眠ってる間に聞こえる音を記録することにした。ピアノによるメロディーとか、いろいろな音が聞こえてたんだよ。次にスタジオに入って、ストリングス奏者を呼んできたり、自分でピアノを弾いたりして、少しずつ、3年半かけてレコーディングしていったんだ。NINが休みの時に共同プロデューサーのブラッド・ピアスと出来る限りスタジオに通い詰めて、月日はかかったけど、遂にアルバムが完成したってわけ。

KUFALAレコードから作品を出すことになった経緯は? いわゆるオルタナティヴ・ミュージックに関しては他にあまりリリースがないレーベルのようですが。

Jerome:ああ、レーベルにとって経験がない分野だってことは、こっちも承知の上なんだ。興味を示してくれたレーベルは幾つかあったんだけど、その中で、すぐに出したいという条件を受け入れたのはKUFALAの社長Brady Lahrだった。アルバム自体は1年半前に完成していて、『ウィズ・ティース』のツアーに出るまでには既にほとんどできてたから、それ以上保留にしたくなかったんだ。ナイン・インチ・ネイルズを突然辞めることになってから、なるべく早く次のステップに進みたかったし。その点、KUFALAはすぐにリリースしたいと言ってくれてね。去年の11月に話を始めて、12月20日には店頭とiTunesで発売されたんだ。

なるほど。さて、あなたのお母さんはピアニストだったそうで、実際あなたはドラムよりも先にピアノを学んでいますし、ギターも弾けますし、作編曲もできます。『リマインダー』でも証明されたように、これだけ多彩な音楽的才能を持ちながら、あなたがドラマーとしてのキャリアを最優先してきた理由は何ですか?

Jerome:ギターもピアノもできるけど、どういうわけかいつもドラムスの方に自然に惹き付けられてね。バンドのギタリストになりたいとか、キーボード奏者になりたいっていう願望を抱いたことがないんだ。ナイン・インチ・ネイルズが『スティル』という作品を作った時に、トレントからギターを頼まれたことはあるけどね。あのレコードでは彼と僕の2人だけでほとんどの楽器をプレイしてる。尊敬するミュージシャンから、ただのドラマー以上に扱ってもらえたことは大きな解放感をもたらしてくれたし、自信も与えてくれたよ。だから、あの時はギターを弾くチャンスに飛びついたし、自尊心が高められる経験だったな。あれがあってから、自分自身のレコードを作ってみようと真剣に思うようになって、ブレットとのレコーディングも本調子になったんだ。

実際、『スティル』のレコーディングに参加したことが、ソロ作品に取り組むうえでの創造的突破口になったと聞いていますが、それまでに行なってきたギター演奏や作曲作業と、そこでの経験とではどういう違いがあったのでしょうか? なかなか自信が持てなかったということですか?

Jerome:というか、夢で聞いた音楽を再現しようとしたら思いのほか難しかった、という感じだね。レンブラントを描こうと思って取りかかったのに、出来上がったのはジャクソン・ポロックだったとでもいうか。美しいポートレートを描こうとしたのに、抽象画になってしまう。予想外の難しさだったんで僕もブレットもフラストレーションを感じるようになって、僕の頭の中にあった音をなんとかしてテープにキャプチャーしようともがいてたんだ。そういう意味で、最初の頃は非常に苦労していたね。そんな調子で数ヵ月が経ち、壁にブチ当たってたところでニューオーリンズに呼ばれて『スティル』の制作に参加することができた。その後、スムーズに行くようになったんだよ。最終的にはアルバムのほとんどが『スティル』以降の2ヵ月間でレコーディングされたものなんだ。

なるほど。ちなみに、あなたが作曲をする時には、主にギターやキーボードを弾きながら書いているのでしょうか?

Jerome:そう、だいたいアコースティック・ギターかピアノで書いてるよ。それを元に、もしインストゥルメンタルだったら、まず自分でできるところを全部やって、弦のアレンジを書いてからストリングス・セクションの人達に来てもらう。歌だったら僕とクラウディアの共同作業でヴォーカル・メロディを乗せていく、っていうプロセスなんだ。

ニアリーのもうひとつの柱となっているのが、その、12ラウンズのクラウディアによる素晴らしいヴォーカルですね。彼女は作曲面でどのように貢献してくれているのですか?

Jerome:彼女はこのアルバムで多大な貢献をしてくれている。歌詞の面でもね。“Wrong”と“Prins Hendrik”は基本的に全て彼女が作ったんだけど、最初に聴いた時はブッ飛んだよ。この2曲で僕がやったのはアレンジと、ヴォーカルのプロデュースだけ。他の曲では、もっと2人でコラボレーションしてるけどね。“Mary Vincent”、“Tributary”、“Straight to Nowhere”、“All Is Lost”では歌詞とメロディを彼女と共同で書いてるんだ。

逆に、あなた1人でヴォーカル・ラインや歌詞を書いた曲はどれか教えてください。

Jerome:彼女が歌ってる曲に関しては、必ず彼女のインプットが入ってる。だから、僕が1人でやったのは“Up in the Trees”と“Blackwing”ってことになるね。それ以外の曲では、歌詞とヴォーカル・ラインは共作してるんだ。演奏部分に関しては、プロデュースも演奏もアレンジも全部、僕1人の手によるものだけど。

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