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コーチェラでは、あなたたちが演奏する直前に、さっきも話に出たフューチャーヘッズが出ていましたが、彼らをはじめとしてあなた方の音楽から影響を受けた若手バンドが今また、たくさん登場してきてますよね。それ以前にもニルヴァーナからレッド・ホット・チリ・ペッパーズまで、あなたたちの大ファンだというアーティストは大勢いますが、そんなふうに、ギャング・オブ・フォーが80年代の頭に出した作品が、90年代を通じて今日に至るまで、多くの人々にずっと影響を与え続けてきたわけです。そのことをあなた自身はどんなふうに感じていますか?

Jon:フューチャーヘッズは俺も大好きだよ。ホントいいやつらで、何度も会ったことあるけど、ミュージシャンとしても優秀だ。確かに、俺たちの作品にインスピレーションを受けたっていう若い連中は大勢いる――フューチャーヘッズはもちろん、ブロック・パーティもそうだし、レディオ4とかフランツ・フェルディナンドも、俺たちの作品にインスパイアされて色んなアイディアを取り入れてるよね。けど、それって俺たちが作ってた音楽が、どのジャンルにも属さない音楽だったからだと思うんだ。パンクでもなければファンクでもない、「自分はこのカテゴリーに属してる」って言ってる音楽じゃないわけ。だからこそラジオ局なんかは、俺たちの音楽をどの局で流せばいいかいつも困ってたんだけどね。実際アメリカじゃ、ギャング・オブ・フォーの曲がブラック・ミュージック系の局でよくかかってたんだよ。トーキング・ヘッズも似たような位置にいたけど、特定のジャンルに属さない音楽だったからこそ、時代遅れになることを拒んできたんだ。他のどの音楽とも似てないから、時代遅れに聞こえないんだよ。だから今でも、俺たちの音楽を聴いたミュージシャンは「ギャング・オブ・フォーだ」って言ってくれる。「パブ・ロックだ」とか「ニュー・ロマンティックだ」とは言わないわけ(笑)。

一方ラジオでは、歌詞が過激すぎて放送禁止扱いになっていたこともよくあったかと思うのですが、今の若いバンドには、そういった攻撃的な思想ではなく音の面しか受け継がれていないという印象もあります。たとえばフューチャーヘッズのライヴなんか観ると、観客と楽しそうに掛け合いしたりしてるわけですよね。つまり音はギャング・オブ・フォーにソックリなんだけど、中身や精神性みたいなところでは非常に大きな違いを感じるんですが、その点に関してはどうですか?

Jon:俺もそうだと思う。そういう若手のバンドって、ギャング・オブ・フォーの通訳みたいなバンドだと思うんだ。だけど時々、通訳してるうちに何かが失われてしまったり変わったりしてしまうことがあるんだよ。

“ロスト・イン・トランスレーション”ですか。

Jon:ああ(笑)。俺たちが実際に曲を書いた当時は、音と歌詞が一体のつもりで書いてたわけだけど、連中のサウンドにはさらにやつら独特の要素が新たに加わってる。それをすごくうまくやってのけたのがチリ・ペッパーズだ。連中って、すごくメロディックなコーラスを取り入れてるだろ? フランツ・フェルディナンドもその辺がすごくうまくて、たとえば“テイク・ミー・アウト”なんか、ギャング・オブ・フォーの“ナチュラルズ・ノット・イン・イット”をかなり取り入れてると思うけど、そこには新たにポップなコーラスが加わっている。ギャング・オブ・フォーの曲には、コーラスは入ってないからね。だから歌詞だけじゃなく音楽的な部分でも、彼らの曲の方が俺たちのより親しみやすくなってることが多いんだ。ただし、ギャング・オブ・フォーの音楽が今まで生き残ってきた理由は「まさに、そういうポップ・ミュージックじゃなかったから」なんだけどね。ラディカル・ミュージックだったからこそ、生き残ったんだ。今から5年後に聴いても、ラディカルさはそのままだと思うよ。歌詞は確かに、体制打倒を意図した危険な歌詞が多いし、イギリスじゃ放送禁止になってる曲がセックス・ピストルズより多いくらいなんだぜ。“アイ・ラヴ・ア・マン・イン・ユニフォーム”も“アット・ホーム・ヒーズ・ア・ツアリスト”も放送禁止になったし、トップ・オブ・ザ・ポップスからも追放されたしね(笑)。だから……ああ、俺も同意見さ!(笑)

世の中が不穏な空気に包まれている現代の社会情勢を考えると、今こそギャング・オブ・フォーの思想の過激さみたいな部分も再評価されるべき時なんじゃないかと思うのですが?

Jon:俺たちの音楽が今まで残ってこられたのは、当時起こっていた特定の時事的な問題を取り上げなかったからだと思う。俺たちは、マーガレット・サッチャー政権のことも曲の中で取り上げなかったし、具体的な問題っていうのを一切曲にしなかったからね。そうではなくて“トゥ・ヘル・ウィズ・ポヴァティ”みたいに、世界の半分を飢えさせてしまうようなことをやってる、あらゆる国の政治家全員に当てはまる曲を書いてたわけ。でもだからこそ、ライヴ8が開催されるような今の時代でも十分に通用する内容になってるんだよ――25年前に書かれた曲なのにね。そもそも俺は、音楽っていうものは必ずしも苦しい時期をテーマにしてなきゃ聴いてもらえないとは限らないと考えてるけど、ただ俺たち人間の文化には、何度も何度も巡ってくる深刻な事柄っていうのが幾つかあるってことだと思うんだ。

コーチェラでは、ステージから凄まじいまでの殺気が放たれているのを感じました。あのエネルギーはどこからやってくるのでしょう?

Jon:俺たちの音楽にはありとあらゆる要素が含まれていて、消えたと思った楽器がまた戻ってきたり、リード・ヴォーカルも別の人間に変わったりするし、曲の構成もインプロヴィゼーション的な性質を持っている。だからそういう音楽に合った、激しい、芝居がかった表現形式というのを見つけなきゃならないんだよ。だからフューチャーヘッズなんかと比べると、俺たちのやり方は型破りなんだ。最近じゃ、ほとんど全てのバンドがスタンド・マイクを使ってるだろ――シンガーの手前にマイクがあるのはもちろん、ギタリストの前にもマイクがあるし、ベース・プレイヤーにもマイクがあるから、誰も自分の持ち場を離れない。メンバー1、その2、その3って、それぞれの立ち位置が決まってる。ほとんどのバンドがそうさ。だが俺はそんなの、表現形式として退屈だと思うわけ……まあ確かに、柔軟性も即興の余地もない曲には、そういうのが合ってるんだけどね。一方で俺たちのライヴ・ショウは、ステージのどこでも使える3本のマイクがあって、俺でもアンディでも誰でも自由に使うことができるんだ。だからショウごとに使う人間も使う場所も違ってくるんだよ。それと俺たちは、観客に向かって身を投げ出す勢いでプレイしてるんだよね。意味もなく観客に背を向けてプレイしたりはしないんだよ。目を見開いて観客を見つめながらプレイしてるんだ。だから確かに、すごく強烈で殺気立ったステージだと言えると思う。時々、俺がステージ前まで出て来ると、観客が後ずさりすることもあるくらいでさ。恐怖か何かを感じるらしくてね。

それはよく分かります(笑)。

Jon:何年も前のことだけど、1年半の間R.E.M.が全米ツアーのサポートをやってくれた時、俺がマイケル・スタイプに言ったステージ上で役に立つ唯一のアドヴァイスは、「犬になった自分を想像して、自分の縄張りに沿って小便をかけて、ここは俺の縄張りだと宣言しろ」というものだった。ステージは俺たちミュージシャンのものなんだからね。

では最後の質問です。かつてはメンバー同士、議論や喧嘩をしょっちゅうしていたという逸話もよく聞くのですが、ギャング・オブ・フォーの表現が持つ殺気立った雰囲気というのは、バンドの人間関係にも反映していたんじゃないかと想像します。実際に活動を続けるのはかなり大変なことではなかったんでしょうか?

Jon:ああ、だから今はお互いに親切だよ(笑)。当時の俺たちには何か狂信的なところがあって、とにかく“最高に素晴らしい”と思えることしかやりたくなかったんだ。だから状況がちょっとでも怪しくなると、必ず厄介なエピソードが生まれるわけ。たとえば一度ショウの最中に、ベース・プレイヤーがモニターに足を乗せてたってことで、アンディが怒って大喧嘩が始まってね。ユーゴスラビアの巨大な屋内スポーツ競技場で、オーディエンスがアンコールを求めてライターに火をつけて総立ち状態でさ。で、俺とドラマーは舞台上に出て行って「どうもありがとう」と言ったけど、ステージ脇ではアンディとベース・プレイヤーが喧嘩の真っ最中。デイヴがモニターに足を乗っけてただけのことでね。でもそういうロック・スター的な態度を見せるのは、当時の俺たちのショウではご法度だったわけ。まあ、さすがに今はそこまで細かいことは言わないし、お互いを思いあいながらやってるよ(笑)。

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