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さて、ライヴの話が出たところで聞きたいのですが、ジャカロープの音楽は、アルバムには大勢のミュージシャンが参加しているし、すごく緻密にプロデュースされたものですよね。それをライヴの場で再現するのは大変なことじゃないかと思うんですが、スタジオで作り込んだ楽曲をライヴで再現する際に重要視しているのはどういったことですか?

Dave:うん、『It Dreams』に関して言えば、ライヴでやること自体あまり想定してなかったというか、レコーディング中はとにかくアルバムを創ることに専念して、それをライヴでどう再現するかは後で考えよう、って感じだったんだ。実際、ライヴでやるにはかなりの困難を伴うんで、だからこそステージ上にあれだけ大勢の人間が必要になるんだけど、次のアルバムに関しては、もっと“バンドとして”曲を書いてもいい時期だ、という考え方にシフトしてきてる。だから新作は、全員が僕と一緒に土台作りから参加してる感じになるね。ファースト・アルバムの時は、まず僕が最初に曲作りをして、それを他の連中に渡すって感じでやってたから、必然的に僕がほとんどの仕事をこなしてた。だから必ずしもライヴ向きの形に出来上がってなかったけど、新しい曲はどれもライヴでやることを念頭に置きながら作っている、というわけ。でも、音を何層にも重ねることに変わりはないから、相変わらず大勢の人間がステージで必要になるのは確かだろうな。レイヤーを全部はぎ取ってしまうことも可能だけど、そんなことしたら別物になっちゃうからね。やっぱり必要なものなんだよ。そこで、とても優秀なミュージシャンを集めてこなきゃならなくなる。たとえばベース・プレイヤーのマットは、僕がコンピューターでプログラミングしたベースラインをプレイしてるわけだけど、あんなものがプレイできる人間が存在するなんて、僕自身思ってもいなかったんだよね。誰かがライヴで生演奏することになるなんて思いもせずにプログラミングした素材を「アルバム用にこういうのを作ったんだけど、どうにかできる?」ってマットに渡すと、すごいのを思いついて聞かせてくれるんだ。こっちはもう「人間技とは思えない!」って感動しっぱなしさ(笑)。でも次のアルバムは、コンピューターよりもマット自身のアイディアを優先させたものになることは確かだよ。

昨日のライヴでも非常にパワフルな演奏が聞けましたが――

Dave:サンキュー。

ライヴをするにあたって、ステージでもレコードと同じプログラミングされたものを使うという選択肢もあるのに、敢えてそちらを選ばずに、生のミュージシャンを使ってライヴをやる方法を選んでいる理由は?

Dave:そっちの方が好きだからだよ。今、北米の大物アクトのコンサートに行くと、ライヴのはずなのにライヴらしい要素がほとんどなかったりするんだよね。ステージに人が立ってはいるけど、実際に現場で起きてることはほとんどない、っていう。僕はそういうのがホントに嫌いなんだ。確かに、これだけ大勢の人員を巻き込んだショウをやるっていうのは、金もかかるし大変ではあるけど、他の選択肢っていうのが僕には見当たらないわけ。わざわざ会場まで観に来てくれたファンに「そのままCDをかけてるんだあ」と思わせちゃうような、レコードをなぞっただけの安全なライヴを見せるなんて耐えられないよ。その場のコンディション次第でご機嫌な夜にもなり得るし、時にはイマイチの夜にもなり得るっていう、不確定要素をはらんだライヴの方がずっと面白いと思う。もちろん毎晩グレイトな夜になるのに越したことはないけど、「もしかしたらサイテーな夜になるかもしれない。アクシデントが起こるかもしれない」っていう可能性とか、ある意味ではスリルって、ライヴには絶対必要だと思うんだよね。たとえば僕がステージから落っこちてしまう可能性とか……そういえば3月にカナダでショウをやったとき、最後から2番目の曲をやってる途中でボードが爆発して煙を上げ始めてね。はっきりとその音が聞こえて「あ、ヤバイ!」と思ったよ。そしたら案の定、スピーカーも何もかもイカれちゃって、しょうがないから幸いにも生き残ってたモニターを使って、何とか乗り切ったんだ。

それは大変でしたね。

Dave:オーディエンスは続行を望んでいる雰囲気だったから、「PAが全部ダメになっちゃったんだけど、続けてほしいならモニターをそっちに向けるよ。どうする?」って訊ねたら、みんな大喜びでさ(笑)。それこそライヴの楽しさなんだよ。まさに「ライヴ=生」だからこそ起き得るハプニングだ。ステージに登場してCDをかけて、あとは跳ねてるだけ、っていうのとは違う。みんなわざわざ金を払ってライヴを観に来てるのに、そのライヴ・ショウを提供できなくてどうする?ってことさ。

では逆に、現在のデジタル・レコーディング技術の可能性については、どう考えているか聞かせてください。

Dave:スタジオでのデジタル・レコーディングは最高だね、大好きだよ。アナログでレコーディングをやってて困るのが、いろんなアイディアを盛り込みたくても限界があるってことなんだ。でもデジタルなら、ものすごい数のアイディアをどんどん加え続けることができる。アナログの場合は、磁気テープにかかるコストという点からも、やれることに限界が生じてしまう。デジタル・レコーディングなら、メモリーの空きさえあれば、デジタル・レコーダーを何時間でも回し続けられるけど、テープだとより限られた時間しか使えないだろ。僕のような音楽の作り方をする人間にとっては、デジタル・レコーディングが与えてくれる自由度は最高に素晴らしいものだよ。アイディアをどんどん加え続けて……終わることのない日記をつけてるようなもので、しかも紙を使い切るということが決してないわけだ。

分かりました。さてここで、あなたのジャカロープ以前のキャリアについても質問していきたいと思います。まず最初に、どういうきっかけで音楽に興味を持つようになったのか教えてください。当初はレコーディング・エンジニアとして活動していたわけですが、そういう道に進むことになった理由は?

Dave:ティーンエイジャーならみんなそうだと思うけど、もともと音楽を聴くのが大好きだったんだ。ところが残念ながら、自分の広告会社をゆくゆくは僕に継がせようと計画していた父親の意向で、高校卒業と同時に大学でマーケティングを勉強することになってね。ただ、その間もずっとビジネスの世界には行きたくないと思い続けてて、大学に入って1年後に「商売はやりたくない。音楽が大好きなんだ」と宣言したんだ。それが確か17歳の頃かな。そこから音楽をものすごくディープに聴くようになって、やがて「プロデューサー」と呼ばれる人物の存在を発見したんだよ。たとえばトーキング・ヘッズのレコード――ちなみに『リメイン・イン・ライト』は、自分もプロデューサーになりたいと思う大きなきっかけになった1枚なんだけど――とかを聴くうちに、それぞれの作品の違いが分かるようになってきて、「何でこのレコードはこっちと違って聞こえるんだろう?」って自問するうちに、プロデューサーという役割を知ったわけ。彼らこそ、それぞれのレコードに変化を与えている張本人なんだって気づいたんだ。それで、どうやったらプロデューサーになれるのか興味を持って、当然のように浮上したのが「まずはエンジニアにならなきゃダメだ」という答だったんだ。それでモントリオールのエンジニア養成学校に入って……実はヒドい学校だったんだけど……でもそこで出会ったあるエンジニアがバンクーバーに引っ越すことになった時、僕も一緒に連れて行ってくれて、要するに僕の面倒を見てくれるようになったんだよ。僕の師匠として、エンジニアになるための基礎を教えてくれたんだ。そこがエンジニアとしての出発点と言っていいと思うんだけど、あくまでも最終目標はプロデューサーになることで、そのためにまずエンジニアの勉強をしなきゃ、という感じだったね。プロデューサーとして「こういうサウンドが欲しい」と、ミュージシャンに自信を持って言えるようになるためにも、まず自分でサウンドを作れるようになる必要があったということさ。

音楽にのめり込むようになった時点から、自分は楽器を演奏したり歌ったりするミュージシャンより、プロデューサー/エンジニアの方が向いていると自覚があったのですか?

Dave:そうだよ、だって自分のギターの腕が凄いとは思えなかったから。馬鹿テク・ギタリストの演奏を見るたびに「俺にはあんな風には弾けない」って感じだったし、「ミュージシャンならここまでやれなきゃだめなんだ」ということも、頭の中では分かっていたんだ。当時もバンドをやってる友達がいたけど、2人ともやっぱり素晴らしいギター・プレイヤーで、彼らの演奏を見るたびに「俺がバンドなんてやれるわけない。まったく力不足だ」と痛感させられたね。だから、代わりにサウンド・プロダクションの側に関わるのが理にかなった選択肢のように思えたのさ。これなら僕にもできると考えたわけ。ただし、それから年月が経つにつれて、実は一番大事なのはギターがどれだけ上手いかじゃなく、ギターを使って何をするのか、どういうサウンドを創り出すのか、ってことなんだって気づいたけどね。10代の頃って、凄腕ギタリストの超早弾きソロと自分のギターの腕を比べてしまって、あれができなきゃダメなんだって、つい思い込んでしまいがちだろ。だから当時の僕は、ある意味誤った考え方をしてたんだけど、それから色んなミュージシャンと仕事をするようになって、自分も連中と同じくらい上手く弾ける、自分にもやれる、ってことに気づいたんだ――特別なことでも何でもないんだってね。それまでの僕は、あまりにも自分に厳しすぎたんだろうな。でも次第に自分にも才能があることが分かってきて、そこで力になってくれたのが、デヴィッド・ボウイのバンドにいたミック・ロンソンだった。僕がエンジニアを務めたアルバムのプロデュースをミックがやってたんだけど、その時の彼の仕事ぶりを通して「ギターというのは単なる道具であって、それを使って何をするかが最も重要なんだ」っていうことに気づかされたんだよ。たとえばある曲で、ミックがたったひとつの音を繰り返し繰り返しプレイし始めたんだ――ダ・ダ・ダ・ダ・ダ・ダ……ってね。すると途端に、その曲が完全な別ものに変身したんだよ。「こいつが秘訣なのか!」と目が覚めたね。どれだけたくさんの音が弾けるか、どれだけ速く弾けるかの問題じゃなくて、適切な要素を曲に付け加えて、新しい曲に生まれ変わらせることが大事なんだ。だからあれが、僕のキャリアのターニング・ポイントになったと思う――自分もギター・プレイヤーとしてやれるって気づけたのさ。

なるほど。さて、あなたのキャリアの中で、最初に大きな位置を占めることになったのが、スキニー・パピーだと思うんですが、このバンドに参加することになった経緯を教えてもらえますか?

Dave:ケヴィン・キーとは他のプロジェクトで一緒に仕事したことがあったんだ。ちょうどそう、YMOみたいなタイプのバンドで、みんなジャパンやデヴィッド・シルヴィアンの大ファンだったから、ほとんど日本のシンセ・ポップに近いような音楽をやってたんだけど、だんだんコマーシャルな方向に行きすぎちゃってね。そしたらケヴィンが連絡してきて、「最高にゴキゲンなアイディアを思いついた。最近、キャバレー・ヴォルテールとかポーション・コントロールをよく聴いてるんだけど、ああいうサウンドのプロジェクトをやりたい。ポップな世界はもうウンザリだ。もっと激しいのをやる。で、友達のオグレと一緒に曲を書いてみた」って、デジタル・ポータスタジオで作ったカセットを聴かせてくれたんだけど、それがすごく面白くてね。そこで、僕が働いてたスタジオのマネジャーに話を持ちかけたところ、「昼間の仕事を支障なくやり続けるならば、夜中だったらスタジオを自由に使っていい」って言ってもらえたんで、2人が作ったデモ・テープを持ち込んで、スタジオで作り直したんだ。当時はそれってまだまだ大変な作業だったよ。エレクトロニック楽器もごく初期の段階だったからね。その時は確か3曲やったんだ――“Sleeping Beast”に“Far Too Frail”それに“Smothered Hope”だったと思う。そしたら――どうやって連中の耳に入ったのか知らないけど――それを聴いたネットワーク・レコーズが「素晴らしいよ!」って連絡してきて、レコード契約を申し出てくれたわけ。で、気がついたら人様のお金で音楽を作れるようになっていた、と。それで最初のEPの『Remission』を作ったら、完成した瞬間に、ものすごく特別な作品が出来上がったと分かったね。だから多分あれが、未来のビッグ・バンドの誕生のきっかけになったんじゃないかな。真夜中にスタジオをただで借りられた、っていうことがね。

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