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Joe Lally



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では、フガジとソロ以外での活動、具体的には元フローダスのメンバーとデカヘドロンというバンドをやったり、ジョン・フルシアンテとアタクシア名義でアルバムをリリースすることになったいきさつとか、それぞれがどういった内容だったのかなども聞かせてください。

Joe:デカヘドロンへの参加は、フガジの活動休止前から始まっていたことなんだ。その頃リディアが生まれて、うちの地下室でフガジと一緒に練習したりもしながら、シェルビー・シンカとブラック・シーをスタートさせて、それがデカヘドロンになったわけだからね。シェルビーがうちに来て、リディアもいる部屋で一緒に曲作りをするようになって。それまでフガジは常に4人でやってたから、当時の僕にとって誰か別の人間1人と音楽をやるのは新鮮な経験だったよ。とにかく、友達と気軽に何かやってみるっていうか、いずれにしろシェルビーは遊びに来ていたし、それで一緒に曲を書くことにしたんだけど、そもそもは彼が始めるプロジェクトの手助けをしているくらいのつもりで、自分も一員としてプレイすることまでは考えてなかったんだ。ただ、シェルビーとジェイソンのために手を貸していただけでさ。もし彼がうちに遊びに来てなかったら、ブラック・シーをやろうとは思ってなかったはずだよ。そのおかげでシェルビーと一緒に演れてすごくよかった。それから僕らはロサンゼルスに引っ越したんだけど、その時も自分が引き続き参加するつもりはなくて、ブラック・シーから名前を変えたのも「僕はプレイしないから、君らで名前を選べよ」って言って(笑)、それで彼らがデカヘドロンっていう名前にしたんだ。

なるほど。アタクシアについては?

Joe:DCを離れる前に、僕は自分自身の音楽を作り始めていて、自分で作ったベースラインに言葉をつけようとしたり、言葉が先にあるものはそこからどうしたらうまく曲になるかを考えたりしていて、イアンに助けてもらったり、ディスコードのモスト・シークレット・メソッドっていうバンドのライアン・ネルソンの手を借りてテープを作っていたんだ。それが2003年のことで、それからロサンゼルスに移って、どうやって自分の音楽をプレイするかをずっと考えていたところへ、ジョン・フルシアンテから声がかかって、彼のソロ作品のために演奏してくれないかって言われたわけ。それで、ジョンのソロを9曲ほどやってみたんだけど、彼がやろうとしてることが理解できなくてね(笑)。最初に僕がもらった音源ではジョンかジョシュ(・クリングホッファ)がベースを弾いていたんだけど、僕は曲をうまく覚えられなくて、練習しても何度も間違ったりしてうまく弾けなかったんだよ(苦笑)。やがてジョンも「君と一緒に自分の曲をやるのは変な感じがする」って言って。で、僕は知らなかったんだけど、プラクティスの初めに僕達がジャムってるのをジョンは録音していたんだ。僕はいつも誰かと一緒にやる時は、まずドラムを聴かせてもらいながら自由に弾いてみることにしてるんだけど、その様子が記録されてたわけ。そこでの演奏をジョンが気に入って「いっそ僕達の音楽を新しく作ろう」と提案してきたんだ。僕は「その方が楽でありがたいよ」って(笑)。というのも、その時点ですでにニッティング・ファクトリーでのライヴがブッキングされてたから、「僕としてはその方がいいし、そうじゃなかったら君の曲をもっと早く覚えられる人を探した方がいいよ」って言ったんだ。そのころ僕は、妻と2歳になった娘と一緒にアパートに住んでいたから、家で曲を覚えようとするのは難しかった。それで方針を変えて、次のセッションで一緒にやったジャムにジョンが歌詞をつけて、それが“ダスト”になったんだよ。そうやって曲を作っていって、4〜5回のジャムを通して曲が全部できて、それからスタジオに2日間入ってレコーディング。その後1日だけ挟んで、次の日はもうニッティング・ファクトリーでショウを2回やった。それがアタクシアの全ヒストリーで(笑)、それ以外は何もやってない。このプロジェクトは、ライヴをやって、ジョンがもう1枚アルバムをリリースするためのものだったんだ。当時ジョンは1年間を通して毎月レコードを出すっていう試みをしていたからさ。だから、あれはアクシデントみたいなものだった。他の人ならば、1度だけライヴをやって忘れ去られるプロジェクトになっていただろうけど、ジョンだったから大勢の人がショウに集まって、1度じゃなく2度もライヴがあって、レコーディングまでできたっていう。ほんとに、アクシデントだったんだよ。2枚目のアルバム(『AW2』)は、同じレコーディングで録った曲の残りだしね。

わかりました。では時間が来てしまったので、最後に今後の活動ヴィジョンを教えてください。

Joe:うん、今は3枚目のレコードが頭にある状態で、だから3枚目のアルバムを形にしたいね。最初は自分でレコーディングしたいと思ったんだ。ラップトップを使って、いろんな人達といろんな場所でやろうかと考えたんだけど、僕は未だにコンピューターを勉強するのが嫌で、レコーディング用のプログラムを学びたいという気持ちになれなくて(苦笑)、だからそれはやらないことにした。でも、すでに長い時間をかけて曲作りをしてきたから、この時期を終わらせたいと思ってるよ。その間にもライヴをたくさんやってきて、1月から6月までツアーしてたし、それからイタリアでも幾つかショウをやった。だから11月にイギリスとアイルランドをツアーした後は、しばらくライヴは休んで、次のアルバムの曲作りを早く終わらせたい。それから、どうにかしてレコーディングする方法を考えないと。録音はアメリカに戻ってやることになると思う。僕は来年の1月から3月まで、フィラデルフィアにあるロック・スクールで働くことになってるんだ。アメリカでのドラマーのリカルドもその学校で働いているんだけど、僕も来てくれないかと頼まれてクラスを教えることになってね。そこで僕の曲を10曲教えて、3月になったらスタジオ入りして、それをレコーディングするんだよ。僕の新しいレコードも、そうやって作るべきなのかもね。もし曲作りを終えて学校にいる間にアルバムの曲を全部マスターできたら、そこでタダでレコーディングできるから(笑)それはいいアイデアかも。でも、今のところはどうするかわからないな。もしかしたら、ロック・スクールでのレコーディングの後は、リカルドと一緒にDCに行って、フガジの機材を使ってトラッキングをするかもしれない。そこには前作の時に使った8トラックもボードほとんど全部そろってるしね。で、その後のことはどうなるか、いよいよわからないけど、とりあえずギターのエリサは僕との活動を続けてくれると思う。彼女はシシリーに住んでるんだ。ドラムのエレはローマで近所に住んでるけど、エリサの方が時間があるから彼女と一緒にやることが増えると思う。だからエリサと2人で続けていくのは確かだけど、エレは僕のバンドでドラマーをやっていくだけの時間があるかどうかわからないから、何か方法を探さないといけない。僕はもっと大勢の人と一緒にプレイする必要があるしね。いつもエレの手が空くのを待っている状態なのは、つらいんだ。常にいい音楽を感じとるためにはもっと頻繁にプレイしている必要があるから、それが今のところ唯一の目標かな。

どうもありがとうございました。

Joe:僕の話がちゃんと質問に答えていて、役に立つといいけど。いい質問をされた時には、話をするのが楽しいね。僕は自分と音楽との関係について話をするのが好きなんだよね。フガジの活動理念とか、そういう話もいいけど、やっぱり僕にとっては、自分と音楽の関係を話すことの方がもっと重要なんだ。だから、君と話ができて楽しかったよ。ライヴも楽しんでね。ありがとう!


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