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ただ、ダンス・ミュージックの場合は打ち込みとかターンテーブルだからいいけど、ジョンは生身の人間なのに、ずっと叩いてなければならないというのは大変じゃありませんか?

Chris:ハハハハハ!

John:そんなことないよ。僕には特殊な能力があってね。スイッチを切るみたいに何もかも忘れて、プレイに集中することができるんだ。何も感じない状態でずっと叩き続けられる。終わったら疲れるけど、やってる最中は全然平気なんだよ。

Chris:ほんと、ジョンの場合は自然にそれができちゃうんだよね。そういう血が流れてるというか(笑)。まるでマシーンみたいなやつさ。

なるほど。一方で、クリスとハリスは楽器をたくさん持ち替えているのが印象的だったんですけれども、こういうスタイルというのは、やはり以前のベーシストが辞めた時から始まったことなんでしょうか?

Chris:あの時は確かに、空いたスペースの埋め合わせをしなければならないってこともあったけど、それ以前から僕らは――というか、少なくとも僕は、いつでも新しい楽器をプレイすることに興味があって。例えばNAHTのステージを見てからは、エレクトリック・バイオリンとかのストリングスに心惹かれるようになったから、次回はやってみようって思ってるし。ハリスはトロンボーンがいいとか言ってるし(笑)。

Harris:ツアーが終わったら、あの楽器やこの楽器を……って今から楽しみにしてるんだ。最初の頃は、2本のギターによるロックバンドのつもりで考えてたけど、3ピースになってからは、とにかくいい曲を書いて、曲に合いそうなことなら何でもやる、っていうふうになってきて。今後はさらにもっとオープンなバンドになっていければいいな、と思ってるよ。

例えば、楽器が先にあるのか、曲が先にあるのかっていう話なんですけれども――こういう曲を作りたいから誰かがそのために特定の楽器をプレイするようになるのか、それとも誰かが新しい楽器を取り入れてみたいと思って、それに合わせて曲ができてくるのか、どういうパターンなのでしょう?

Harris:その半々だね。いつもは、ただリハーサル室に入ってプレイし始めるだけだよ。やっているうちに「ああ、こうすりゃいいんじゃん」みたいなアイディアが出てくるわけで……そのプロセスを説明するのは難しいんだけどね。

Chris:決まりきったやり方があるわけじゃないんだ。どうやって曲を作ってるのか、アレンジしてるのか、自分たちでも分からない。メンバー全員が同じように貢献してるバンドだしね。誰かリーダー格の一人がいて、次はこうしろああしろと指示を出してるわけじゃないから。それぞれがアイディアを持ち寄って作ってるんだ。使えるツールは何でも使ってやろうって姿勢でやってるよ。

なるほど。

Chris:僕が使ってるキーボードの多くは、人からプレゼントされたものなんだ。クリスマスに親からもらったメロディカとか、ガールフレンドが買ってくれたキーボードとか(笑)。だから実は、たまたま持ってて使ってみた、っていう部分もあるんだよね、僕の場合。ということは、僕らのサウンドには僕の両親の影響が大きい、ってことかな(笑)。

(笑)。昨日のライヴを観て、僕自身すごく楽しんだわけなんですけれども、あなた方自身の意識としては、自分達のやっていることは純粋なアートであって、エンターテインメントというものとは切り離して考えているのでしょうか?

Harris:僕はそのどっちでもないと思ってる。むしろ、民族音楽や儀式のようなものに近いんだ。どんな文化にも、打楽器を中心としたドラムサークルに、歌や踊りが加わったものってあるだろう? 僕らのショーってそういうものだよ。バンドはその一部に過ぎない。オーディエンスと、その場所の空気と、バンドが一体となって作り出すものなんだ。少なくとも僕は、「今日はエンターテインするぞ!」って気持ちでライヴに臨むことはないね。アートの意識は少しはあると思うけど、それよりも、僕らとオーディエンスの間に共有される、一体化した意識みたいなものが大事なんだ。ピース&ラヴ!なんてね(笑)。

Chris:そう、僕らのショーでベストなのは、オーディエンスとの間に自然な対話が生まれてるって分かるようなものだね。時々、自己顕示欲を満足させるためだけにライヴをやってるようなバンドを見かけるけど、そういうバンドはただ見せびらかしたいだけ、なんだ。まぁ僕らも日本では、自然な一体感が得られるまでちょっと時間がかかってしまった。言葉の障壁、文化的な違い、ライヴでの作法の違いなんかがあるからね。でも、日を追うごとにそれは問題じゃなくなっていって、昨日のシェルターでのライヴはいつもの調子でできたよ。

あなた方はディスコードに所属していて、ストイックな姿勢で活動している印象がありますので、あえて訊きたいのですが、そういう純粋な表現がみんなに共有されて、素晴らしいショーになって、そこにエンターテインメント的な要素が生じる分にはすごくいいことだと思うんです。それがちょっとおかしなことになってしまうような一線というのは、どの辺からだと考えていますか?

Chris:うーん、難しい問題だな……何かアイディアある?

John:どの辺から、わざとらしいエンターテインメントになるか、ってことだよね?

はい。

John:それは例えば……オーディエンスを軽視してシニカルな見方をしたり、慣れきってたりすることじゃないかな。パッションを込めることもなく、それらしいポーズだけ取って、誠実さのかけらもないショーをやったり。自分たちの出所を忘れてね。アメリカにはシニカルな姿勢のバンドが多いと思う。そういう態度は音楽に表れるし、さっきも言った見せびらかすだけのライヴになってしまうんだよね。初心を忘れてることの表れだと思うよ。

Chris:もっと簡単に言えば、もしオーディエンスの反応に関係なく、毎回まったく同じ演奏をするようになったら、その時点で一線を越えたことになるんじゃないかな。僕らのライヴは大部分がオーディエンスとのコミュニケーションで成り立っているんだ。それがあるからこそ、僕らのショーになるわけで。でも、バンドによっては、ただ出てきて演るだけっていう……。

Harris:スイッチを入れるだけ、みたいなね。

なるほど。

Chris:そう、オン・オフのスイッチがあるような感じでね。本当のコミュニケーションが行われない。それだと単なる展示に過ぎないと思う。ライヴは観客とのやりとりだよ。

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