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順調にキャリアを積み重ねてきたように思えたブルーチップが唐突に解散した理由、そして間髪を入れずレティソニックというニュー・バンドがスタートしたことには、やはり多くのファンが驚かされました。この一連の経緯について、改めて説明してもらえますか?

Jason:ブルーチップで長いことドラマーを勤めてきたデイヴ・ブライソンが、3枚目のアルバム『POLYMER』のリリース直後に脱退した。デイヴはオリジナル・メンバーじゃなかったけれど、バンドに重要な影響を持っていたから、彼が抜けたことでジェイク(・カンプ)と僕はバンドの置かれている状況を話し合わざるを得なくなった。その時、僕達にとって一番の問題は、メンバー・チェンジは別にしても、6年間バンドをやってきて置かれている状況が何も変わっていない事だった。同じハコで同じ曲をプレイして、同じ額の金を失って行く……。僕はもう、解散して新しく出直さない限り、この先いくらメンバーを変えてもバンドを甦らす事は出来ないと思ったんだ。それに僕が新しく書いている曲も違うサウンドになっていたし、なんで新しいバンドを始めない理由がある? ただ僕もジェイクも、ブルーチップを終わらせるためにやらなければならない事がまだ幾つかあったのは確かだった。長年レコーディングしてきて未完成の録り溜めてた曲もあったし、新しいアルバムのプロモーションのためにツアーも続けるべきだとも感じていたからね。そこでアリフ・スレスカイテン(元レギュレイター・ワッツ)をドラマーとして参加させ、ブライアンを元々のポジションであるギターに戻るように仕向けて、なんとかヨーロッパとアメリカをツアーした。その間にも僕はレティソニックのための作曲をし、プランを練ってたよ。ツアーは6月に終わり、ブルーチップも終わりを迎えた。僕は最初、新しいバンドをアリフやジェイクと一緒にやりたいと思ってたんだけど、それはうまくいかなかった。お互い4時間も離れた所に住んでいたし、それぞれにブルーチップで感じていたフラストレーションもまだ残っていたんだ。2001年の後半は、4枚目のアルバム『POST MORTEM ANTHEM』の編集と、レティソニックのための曲を書いて4トラック・レコーダーに録音して過ごした。そして2001年の11月に『POST MORTEM ANTHEM』はリリースされ、「公式に」ブルーチップは解散。2002年の1月にはジョーと一緒にレティソニックとしてプレイし始めて、3月には3曲入りのEP(2001年にジェイクやアリフと一緒に録ったデモ作品)をアメリカのラジオ局用にリリースした。4月にジョーと2人で『LEAN BEAT EP』をレコーディングして、ヨーロッパ・ツアーが決定し、ジムが加入。9月に『LEAN BEAT』が発売され、ツアーに出て、今家に帰って来たところだよ。僕はブルーチップの終結から1年以内にレティソニックが最初のツアーを終える事ができて嬉しく思っている。

今作は、本国では元バーニング・エアラインズのマイク・ハービンが設立したレーベル=シルヴァースリーより、日本ではNAHTのSEIKIさんが中心になって立ち上げたレーベル=インヘリテッド・アライアンスからのリリースとなりますね。ディスコードを離れ、これら新レーベルへと居を移したのには何か理由があるのですか? やはり、より自分の世界を広げたいという気持ちの表れなのでしょうか?

Jason:僕達はニューヨークを拠点にしているバンドで、DISCHORDはワシントンD.C.のレーベルだ。僕はいつも自分の世界を広げたいと思っている。

では、ここで簡単に、あなたのバックグラウンドについて教えてください。小さい頃は、どんな音楽環境に育ったのですか?

Jason:ロックでは、キッスやチープトリック。後になってから、マイナースレットやザ・フェイスといったハードコアだね。

自分でも音楽をやっていこうと決心したキッカケは何だったのですか?

Jason:1985年かな?

当時、最も大きな影響を受けたアーティストやバンド、その作品などについて教えてください。

Jason:音楽をやろうと決心した時の話? ザ・フェイス、もしかするとライツ・オブ・スプリング。もっと遡れば、たぶんエース・フレーリーとキッスってことになると思う。

ところで、ブルーチップの『POST MORTEM ANTHEM』に再録された"52 GIRLS"は、B-52'Sの曲ですが、キャッチーなポップ性が、パンクのエネルギーと合わさって最高のカバーになっていると思います。この曲をやってみた動機について教えてください。

Jason:それは、この曲が最高だからさ。B-52'sのファースト・アルバムは僕のお気に入りなんだ。"52 GIRLS"はその中でも特に好きな一曲。デイヴ・スターンとお互いジョークでこの曲のカバーをやろうって言ってて、気がついたらジョークじゃなくなってたんだ。

あなたの作る音楽は、ハードコアならではの硬質さ/複雑さを保ちながら、独特のポップ感を持っている点で、他のD.C.ハードコア・パンクと大きな差異化が計られていると思います。レティソニックになったことで、このポップな傾向には拍車がかかるのではないかと予想しているのですが、どうでしょうか?

Jason:忘れないでくれ、僕達はD.C.のバンドじゃないんだ! レティソニックでは、僕達は自分の好きなようにプレイしたい。僕達はハードコアで育ったし、愛している(そのうちの幾つかはね)。同時に僕達は、ロックもポップも、メタルでも何でも聴いて育って来た。そういったいろんなタイプの音楽の要素が僕達の中にはあると思う。僕達がやろうとしてる新しい事は、僕達が以前やってたバンドには欠落していたヴォーカルの「メロディーとハーモニー」で、それは時に間違った意味で「ポップ」と解釈される事がある。でも、ここで僕達が考えているのは「フック」なんだ。僕達が書きたいのはアグレッシヴでフックのある曲、またはアグレッシヴじゃないフックのある曲、あるいはもしかしたら単に良い曲、なんだよ。

参考までに、最近お気に入りのアーティストの作品も幾つかあげてもらえますか?

Jason:『へドウィグ・アンド・ザ・アングリー・インチ』っていう映画と、そのサントラだね。

あなたは、ディスコードの一連の作品や、アット・ザ・ドライヴ・インの『リレイションシップ・オブ・コマンド』といったアルバムのアートワークを手がけてきたデザイナーとしてのキャリアも持っていますが、最初にデザインをやるようになった経緯についても簡単に教えてください。

Jason:最初のバンド=スウィズをやってる時、T−シャツとレコードのジャケットが必要になって、それで、僕がやったんだ。そのうちにだんだん他のバンドのジャケットも、DISCHORDのバンド(フガジ、ラング・フィッシュ、フ−バーなど)を含めて、たくさん手掛けるようになって、アット・ザ・ドライブ・インのもやったんだよ。多分、これまでにアルバムのジャケットで約70作品は作ったと思う。

今後の予定はどのようになっていますか? 貴方が今持っている野望は何でしょう?

Jason:自分の世界を広げること、だね。

フル・アルバムの完成と、来日公演はいつになりそうですか?

Jason:まだいつフル・アルバムが出来るかはわからない。EPが出たばかりだし、もっとツアーをして、もっと曲を書いていくつもりだ。僕達の日本のレーベルINHERITED ALLIANCEの協力で2003年の中頃には日本にも行けることを願っているよ。

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